居酒屋明日のモバイルほろ酔い語り

人類の歴史上もっとも成功したモバイルコンテンツとは? - shi3zの明日のモバイルほろ酔い語り

居酒屋明日のモバイルほろ酔い語り

ここは、東京下町のとある居酒屋。板だけ載せた酒瓶ケースの上に、ずらりと焼鳥やもつ煮を並べ、路上で立ち飲みが基本の店だ。気さくなおかみさんが、手作りの肴を振る舞ってくれ、深夜までずっと賑わっている。

そんな気取らない店に、IT系勤務のホットなやつらが夜な夜なつどって業界の噂話に花を咲かせ、ときには激高しときには愚痴をこぼし、ときには成功を喜び合う……。店内では、聞き逃せないような最新情報、そしてモバイルの未来に関わるような貴重なアイデアが飛び交っているのだ。

今日も、おもしろそうな会話が耳に飛び込んできたようだ。

文、写真:清水亮(ユビキタスエンターテインメント)

今回は少し趣向を変えて出張先のロンドンから。国際的に活躍するイラストレーターA氏と筆者は、ひょんなことからロンドンに同行取材に来ていた。クラシカルで優美な街並みの中で、2人が思い描いたモバイルとは?

登場人物

筆者

筆者=さすらいの零細企業経営者。モバイルコンテンツ管理システム(CMS)の開発・販売を手がける。最近はiPhone関連の事業に力を入れる32歳。
A氏=国際的に活躍するイラストレーター兼漫画家。でも英語は苦手。今回、新作の取材のため筆者とロンドンで合流する。

ロンドンで考えた「聖書」と「マンガ」と「モバイルコンテンツ」

■持ち運べるコンテンツ=本という基本

inロンドン
筆者

筆者「いきなりですけど“歴史上もっとも成功したモバイルコンテンツ”って、なんだと思います?」

A氏「うーん……なんでしょう?」

筆者

筆者「僕はね、聖書だと思うんですよ」

A氏「聖書ってあの、ホテルにある聖書ですか?」

筆者

筆者「そう」

A氏「確かに、本は持ち歩くものですからね」

筆者

筆者「だから今ケータイコンテンツで、本であるマンガが主流になりつつあるのは、いわば当然の流れなんですよ」

A氏「なるほど。けど、ケータイのマンガって、マンガはマンガでも別物ですよね」

筆者

筆者「コマごとにバラバラになってる」

A氏「あれはあれで新しい表現としてはアリかもしれないけど、既存のマンガをああいう構成で見るのは書き手としてちょっと違和感がありますね」

筆者

筆者「ロンドンではいろいろとマンガ屋さんを回ったじゃないですか。どうでした?」

A氏「びっくりしましたね。いまだにみんなスーパーヒーローものしか読んでない」

筆者

筆者「店員に聞いてみると、『スーパーマン』『バットマン』の人気が根強いですよね。新しいのはないかと聞いたら……」

A氏「そうそう、出てきたのが『ウォッチマン』(笑)」

筆者

筆者「どんだけマン好きだよって感じですな」

A氏「この勢いなら『アンパンマン』がバカ売れしかねない(笑)」

筆者

筆者「僕は『ドラゴンボール』が受けてるってのがわかる気がした。『ドラゴンボール』が海外で受けてるっていうんだけど、実はそれはZ以降の話らしいんですよ。それでZ以降の『ドラゴンボール』っていうのは、一言でいえば“スーパーヒーローマンガ”なんですね」

A氏「ああ、そういわれてみれば。それは気が付かなかったなあ」

筆者

筆者「だって完全にそうでしょ。なんかやる気を出すと変身して、空飛びながら戦うんだから。筋斗雲なしでね。だからあれはスーパーヒーロー者の一種として受け入れられてる気がする。しかも由緒正しい、宇宙から来たヒーローだし(笑)」

A氏「クリプトン星ならぬベジータ星ですか(笑)」

筆者

筆者「ところがパリのマンガってのは、もうほとんど日本のマンガに近いですよね」

A氏「あれはマンガというよりストーリー付きアート作品。値段も高いし。だから日本のマンガも受けてるのは理解できる気がしますね」

■マンガビジネスは今どうなっているのか

筆者

筆者「ところで下世話な質問ですけど、マンガ家って儲かるんですか?」

A氏「それが最近そうでもないらしいんですよ。週刊連載でも赤字のことは結構あるみたいで」

筆者

筆者「なんで赤字になっちゃうんですか?」

A氏「原稿料が、ページあたり1万円から2万円なんですね。それが18ページだから1か月に60〜120万円の収入です」

筆者

筆者「かなりいい稼ぎじゃないですか」

A氏「いやでもね、今どきのマンガなんてクオリティが高すぎてとても1人でなんて描けないですよ。画材、アシスタント代、仕事場の家賃とか賄うわけですからね。連載を掛け持ちできるくらい売れないと、儲かるところまでたどり着かない」

筆者

筆者「じゃあどうするんですか?」

A氏「他の先生のアシスタントをやったりして食いつなぐんです」

筆者

筆者「それは大変ですね。もっとコストを下げる方法はないんですか?」

A氏「手を抜くとすぐ人気に響きますからね。背景をCGにしたりといったことは行われていますが、やっぱりCGを多用すると台無しになってしまう作風もありますから……」

筆者

筆者「あと、アニメも厳しいって言うじゃないですか」

A氏「厳しいですね。DVDも売れなくなってきている」

筆者

筆者「なんでそんなことになったんでしょう?」

A氏「多すぎるんですよ。パイは小さいのにプレイヤーは増え続ける……」

■エンタメの原点は宗教、原動力はエロ?

inロンドン
筆者

筆者「なるほど、ところで僕、先週までニューヨークに居たんですよ。今はロンドン。で、来週はパリに行くわけですよ。いろいろ巡って思うのは、エンターテインメントの原点は宗教だなということ」

A氏「どういうことですか?」

筆者

筆者「ルーブルのギリシャ彫刻とかね、あれは本当はポルノだったんじゃないかと思うわけです。ミロのヴィーナスとか、ミケランジェロとかね。なぜか美少年が多いんだけど、美少年の方がなんていうか、わけがわからないほど艶めかしいポーズをとっている。なんか女性を全裸にするのはどうか、みたいな議論なり規制なりが当時あって、それで『こいつは女じゃなくて男です』っていうエクスキューズをしているようにさえ見える。児童ポルノ法以降の日本のコンテンツみたいな。性表現が巷にありふれている現代だと、たいしたことないけど、やっぱりミロのヴィーナス見て、モヤモヤしたものを感じないと言えば嘘になる」

A氏「いや、感じないでしょう(笑)。確かに綺麗ですが」

筆者

筆者「綺麗とポルノの境目は難しいよね。けれども、僕らはあまりにああいう芸術を消費しすぎているんです。情報がまったくない時代、写真も絵も印刷技術もない時代に、滅多に見られない場所でああいうものを見たら、やっぱりちょっとね、「なんだろうなこれ」って思うと思いますよ。『すごいいい女の像がある』ってんであちこちから人が見に来る、というかね」

A氏「ミロのヴィーナスはいい女(笑)」

筆者

筆者「たとえば、原始的な宗教によくある、生贄は処女で、しかも美少女に限るとかも本質的にはポルノだと思うわけです。映画の『300』にもそんな描写が出てきますよね」

A氏「なるほど」

筆者

筆者「そういう、ちょっといかがわしいことをやってるから、男中心の社会の中でそういうのが浸透してきた、と想像できなくもない」

A氏「うーん。そこまではどうかな(笑)」

筆者

筆者「それから、絵画や彫像や聖書やその周辺的なもろもろによって、宗教というのはさまざまな形でエンターテインメントを提供してきた。葬式とか出るとね、もうあれってエンターテインメントだと思うんです。なんか念仏読んで、ポクポクやって、木魚ってバスドラムだよね。ドラという名のシンバルもある。あれは一種のロックなわけです。人を幸福にするのが宗教の究極の目的だとしたら、エンターテインメントの原点であってもおかしくない。それにそもそも、聖書って読むとかなりおもしろい本ですよ」

A氏「そうですね。意外と。物語があってね」

筆者

筆者「こんな大傑作があるんだったら他の本とかいらないんじゃないかっていうくらい。古典ですよ。でも、聖書をテーマにした物語ってすごく沢山あるじゃないですか。あれってほとんど、聖書を元ネタにした同人誌ですよね」

A氏「ああ、そうとも言えるかもしれないのは確かですね」

筆者

筆者「ミサや葬式、結婚式、祭り……宗教はライブイベントの原点でもあるんですよ。ところが不思議なのは、こういう宗教画が多く書かれた時代というのは、ある時点に集中してるんですよね」

A氏「ええ、そうですね」

筆者

筆者「思えば、こんなでかい絵を描くのってそれなりに才能だけじゃなく時間も費用も掛かったと思うんですよ。だからパトロンを必要とした。教会や、金持ちや、王族。けれどもそれもある時点で飽きてくる。もしかしたら絶対王政がなくなった時点で同時に絵画を支えるパトロンが居なくなったかもしれない。そうして美術館に揃えてしまうと、昔ながらの絵画の新作なんてだんだん見たいとも思わなくなってくる。というのも、すでに一生掛けても見切れないほどの名画があるからです」

A氏「ああ、それはマンガやゲームが直面しつつある問題と似ていますね。過去のゲームでも十分おもしろいという」

■制約がマンガスタイルの進化を生み出した

筆者

筆者「そうすると、ある時点で消滅はしないまでもそういう芸術は下火になっていきますよね。経済効率性が下がってくる。それから主流が大衆に奉仕するポップアートになり、さらにそれを省略して特徴だけ掴んで書いたマンガができた」

A氏「そもそもマンガって、もともとは機能的制約によってああいう絵なんですよ。昔の印刷機の性能が悪くて、太くてハッキリした線で描かないと綺麗にならないっていうんで」

筆者

筆者「それが今のマンガスタイルを作ったわけですね」

A氏「それからスクリーントーンが発明される。これにしても、多色刷りや濃淡が出せなかったから発明されたんです。印刷技術ありきですよ」

筆者

筆者「そうすると、意外とコンピュータで書くマンガにスクリーントーンを貼るというのは不思議なものですね」

A氏「実際、アメコミではスクリーントーンを使っているものはほとんど見ませんよね」

筆者

筆者「濃淡を出したかったら、もう色を塗っちゃう(笑)」

A氏「うーん、それはそうかもしれない。ただ、やっぱりマンガの大家というのはマンガで十分食えてるわけだから、死ぬまでそれで食えるでしょうしやっぱり新しいことにチャレンジするというほどの動機は薄いかもしれません。たまにチャレンジも見るけど、わりと無残な結果になっている。マンガの文法から抜け出せていないんです」

筆者

筆者「でもマンガっていうものに僕がすごく可能性を感じるのは、あれって1つの言語ですよね」

A氏「それは人間の脳の構造と関係していると思います。そもそも輪郭を描いてそれをモノだと認識できるのって、人間が輪郭ベースでものを解釈しているからというだけに過ぎない。昆虫とか宇宙人とか、輪郭を認識しない生命がマンガを見ても、なんのことだかわからないはずですよ」

筆者

筆者「ああなるほど。輪郭かあ」

A氏「逆にマンガというものが日本で独自に発展してきて、かなり高度になってしまっているものもあります。たとえば頬を赤らめる表現に斜線を引いたりする。これは日本のマンガとしてはアリなんだけど、カラー全盛の海外のマンガ愛好家に見せると『なぜこの女の子は顔にこんなひどい傷があるんだ』と戸惑うわけです」

漫符(まんぷ)

涙滴の形で汗=内心の焦り、頭部の湯気で熱=怒りを表すなど、漫画に特有な記号的表現。この表現自体は、以前からあったものの、明確な呼び方がなく、相原コージ・竹熊健太郎共著『サルでも描けるまんが教室』(略称『サルまん』)内で「漫符」という呼び方が提唱された。

筆者

筆者「なるほど。“漫符”が伝わってないわけですね」

A氏「『サルまん』的に言えばそういうことです。他にも、汗の記号とか、青ざめるとか、そういうものを見て伝わるかというと実はすごく難しい。ヨーロッパのコミックイベントで頭に涙滴型の汗を乗っけてる絵を見て『これはいったい何なんだ』と聞いてくることがありましたね。日本の漫画ではみんなこのアクセサリーを付けてるけど、意味がわからない、とか。ただ、そういうのもぜんぶ、やっぱり白黒印刷であの紙質の悪い状態でどこまで表現できるか挑戦していた部分はありますよね」

筆者

筆者「テクノロジーの制約が、漫画表現をむしろ発達させた、と」

A氏「そう。そして新しいテクノロジーが新しい表現を可能にするんです。今我々の世代がしなければならないのは、もしかしたらコンピュータゲームやマンガ、アニメそれ自体を再発明するようなことかもしれませんよ」

筆者

筆者「浮世絵の中でも春画が当時世界最高峰の多色刷り版画技術によって成立していたように、現代にフィットした芸術表現というのは新しい段階を迎えるのかもしれませんねえ」

A氏「マンガが生まれてそろそろ100年くらい。100年経てば新しいものが生まれてきてもおかしくない。かといって僕はCGで描くべき人とそうでない人がいると思いますが」

筆者

筆者「それはどういう意味で」

A氏「ペン画が上手い人が必ずしもCGが上手いわけではないんです。慣れの問題もあるでしょうけど」

■ケータイコンテンツとしてのマンガはどう進化するのか

inロンドン
筆者

筆者「iPhoneやケータイで読むのに適したタイプのマンガの進化形とかは十分考えられますね。結局、紙の本よりもケータイの方が売り上げで逆転すれば、そっちをメインに考えざるを得ない」

A氏「でも画面が小さすぎますよ」

筆者

筆者「それこそがあらたなる制約でしょう。そういうところから新世代のクリエイターが生まれ、世代交代が起きていくのでは?」

A氏「うーん、それはそうかもしれないなあ。ただ、そういう実験的な試みはコンテンツよりもまず仕組みとのマッチングだと思うんですね。たとえば絵と台詞がバシッと決まっていると、まさに『声が出ているように』見えるマンガ。いいマンガというのは、頭の中で声が響くんです。本当は聞こえないはずなのに」

筆者

筆者「ああ、だからアニメ化されると違和感を感じる場合があるんですね」

A氏「そう」

筆者

筆者「まあ話をモバイルに戻すと、マンガって持ち歩けるじゃないですか。机の上でマンガを読むなんてことは滅多にない。ソファで寝っころがりながらとか、畳とか。マンガはふんぞりかえって、リラックスして読むものなんですよね。そのあたり、すごくケータイ的だなと思うわけです。というか、ケータイがマンガだというか」

A氏「そうですね。確かにケータイをいじるときって、リラックスしているときが多いですね」

筆者

筆者「たとえば誰かと話をしてるじゃないですか。そういうときに『あの本がおもしろいよ』って言われると、もうその場でごく自然にAmazonで注文しちゃう。もしくは電子コミック探して買っちゃう。それまではあり得なかったことがあたりまえになるわけです。無意識のうちに人間の能力は拡張されている」

A氏「テクノロジーが生活を変えるわけですね」

筆者

筆者「僕はこれこそがまさしく人類補完計画だと思うわけですよ。テクノロジーが人に翼を、馬よりも速い脚を、鋼鉄の肉体を、無限の知性を授けるわけで、それをまったく無意識のうちに使うことができるようになると、そこを起点に次の世代にジャンプしていきますよね。そう考えると、モバイルはやっぱり最先端の人類補完器具なわけだと思うわけです」

A氏「個体として未熟な人間が群体となることで進化するというやつですか」

筆者

筆者「ウィズダム・オブ・クラウド(集合知)はそれを地で行ってますよね」

A氏「そろそろまとめますか」

筆者

筆者「ニューヨークとか、ロンドンとか、パリでもいいけど、キリスト教の与えた影響ってとてつもなくでかいわけです。その媒体としての聖書があった。これは原初のモバイルコンテンツの成功といっても過言ではない。いや、もしかすると、口伝で伝わる『創世物語』こそが真のモバイルコンテンツの起源といえるかもしれませんけどね。とりあえずミロのヴィーナスはいい女、と」

A氏「結局、遠大なんだか低俗なんだかわからない話ですね(笑)」

※写真はイメージです。

その四! モバイル業界人なら、モバイルコンテンツという視点でマンガを見直すべし!

筆者のお気に入り居酒屋情報

※今回はありません。

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